「いじめ」

ヨォ、相棒。「バーディ」だ。

最近のニュースは、「いじめ」やら「自殺」の話題ばかりで、胸クソがわるくてウンザリするなぁ?まあ、人が3人集まりゃ上下関係や派閥が発生するとはよく言うが、「いじめ」なんてもんは、ネタにしやすい人物を徹底的にいじって楽しむだけの下卑た行為であったり、単純に「気に入らない」とか「ムカつく」という自分だけの感情論を勝手に押し付けている行為であったり、人間関係的に「力」がある人物が一方的に「力」のない人物を攻撃の対象にする行為であったり、フザけた子供からド汚ねぇ大人まで万人共通でやってくれる、人間生活において最もくだらねぇ事象さ。

学校の「いじめ」は、よく話題になる。実は、これも「いじめ」の一種だってことに気付いてるかい?相棒よ。

「いじめ」で「自殺」が起きた学校ってのは、裏表の色んな所から「圧力」が掛かるし、立場も異常に弱くなるもんだ。しかも「社会正義」なんて大義名分を掲げられた日には、攻撃対象を探してるメディアの標的(マト)になる。攻撃的な記事や特集は、書いている方も読んでるほうも、さぞかし胸がスッとすることだろう?誰かを悪者に仕立て上げて、悪く言いまくる奴らの方が、世の中には多いからなぁ。

だが実際は、どうだ?本当に学校だけの責任なのか?それに気付かなかった親の責任は棚上げか?「いじめ」に気付いてるくせに、それを止めなかった生徒の責任は?そもそも「いじめ」ていた奴の責任追求は?もちろん、学校の責任もデカイが、法廷闘争を前提で情報封鎖を図らようとしている上の組織の責任はどうだ?

結局、「いじめ」が苦で自殺した奴の影響で生じた「責任」も「いじめ」の論理で、散々たらいまわしにされた挙句、最後に「イモ」を引くのは大抵、力の弱い人間さ。

まあ、なんだ・・・何を言いたいかと言うとだな、「いじめ」ってのは、結局、何歳になっても何時になってもなくなりゃしねぇ。だから、それに対抗するだけの「力」をつけることが重要だと思う。それは、なんでもいいんだ。仲間をつくるもよし、己を鍛えるもよし、金を稼ぐもよし、知で陥れたり懐柔したりするもよし、大切なことは負けないことだし、やられっぱなしにならないことだ。自分が見てる世界ってのは、意外と自分と密接に関係してるもんだ。自分が良い方向に変われば、人も変わる。それが理解できない奴が、何時まで経っても犬みたいに同じ所をグルグル回り続けて、同じ失敗を繰り返し、負け続けるのさ。

あともう一つ重要なことがある。「負けたくない」と思う心だ。本当に負けたくないと思えているだろうか?逃げずに戦えているだろうか?所詮、「ワカラズ屋さん」が大半を占める世の中だ、戦わずして、自分の生きる場所が用意されているはずもないのさ。

ただ、「力」をつけたときに気をつけなくてはなら無い事がある。それは、その「力」の使い方だ。その「力」を自分本位に使えば、結局いじめてた奴と同類の「ワカラズ屋さん」達の仲間入りになってしまう。大抵は、このパターンに陥る。難しいもんだな。多分これが解決できるなら、世の中には戦争が起きないだろうよ。

今日の話はここまでだ。また、会おうな相棒。

2006-11-01 19:21:42/ネバーワールド制作スタッフ

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